割れた唄口の交換方法
2年もの間、更新が滞ってしまい、大変失礼しました。
ようやく三線に触れることができる状況になりましたので、あらためて記事をアップしていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
さて、2年ぶりに三線を手に取って鳴らしてみたところ、なんだか音がおかしい。。原因追及のため三線をバラしてみたところ、なんと、唄口が割れているではありませんか(◎_◎;)
ということで、三線復帰初日は、唄口の交換作業と相成りました。
唄口とは?
唄口とは、カラクイの手前で弦を支えるパーツです。牛骨を削って作るのが一般的ですが、象牙で作られたものや、貝殻(夜光貝)で作られたものもあります。ある三線工房では、金属を材料に使っているものがありました。
通常、三線工房やショップでは、牛骨をカットしたものが、唄口として販売されています。
棹に彫られた溝にぴったりはまるように削り、がたつかない様にしてあります。これの作りが適当だと、音がびびったり、弦を交換するときに簡単に落ちて失くしてしまうこともあります。
また、弦を直接支えるものですから、唄口の材質は音にも影響を与えます。金属製のものは、かなり硬い音だった印象がありました。
唄口交換の方法
1)削る
唄口をはめる溝の大きさ(幅、厚さ、深さ)に合わせて、牛骨を削っていきます。
極端には違わないものの、製作した工房によって溝の大きさは様々なので、その三線に合わせて削っていかなければなりません。
ヤスリでひたすら削っていく作業はけっこう疲れます。
また、削り過ぎてしまうと、溝に対してグラついたり、弦を交換するときにポロっと外れて紛失してしまうこともあり得ますから、最終的に合わせる時は、少し削っては嵌めてみながら調整していく必要があります。
ピッタリはまると、上の写真ような感じに仕上がります。
2)溝を付ける
削ってはめた後は、弦を通すための溝をつけていきます。
弦は、棹から浮いている必要がありますが、棹と弦の隙間は約1mmです。この高さに合わせて溝をつけなければいけません。
また、溝をつける際に、棹に傷をつけてしまっては大変です。
このため、唄口に溝をつける際は、下のように厚さ1mmのプラスチック板を当て、弦の太さに合った歯厚の薄鋸で溝をつけていきます。
こうすれば、ちょうど棹から1mmのところで止めることができますし、棹を傷つけることがありません。
ちなみに溝をつける位置は、男弦と女弦を糸蔵の幅に合わせ、中弦はそのちょうど中間とします。削る前にペンで印をつけておくと良いでしょう。
溝をうまくつけることができたら、胴と組み上げて、弦を張って出来上がりです。
唄口をご自身で交換されたい方は参考にしてみてください。(あまりいらっしゃらないかもしれませんが(苦笑)
作業のやり方は職人さんによって異なるかもしれません。
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今回、およそ2年ぶりの投稿となりました。
つい最近まで札幌に赴任していたこともあり、猫達からは他人のように警戒されている始末です(;’∀’)
かなり長きにわたって三線から離れてしまいました。また、新型コロナの影響で、以前のような稽古の機会を作るのが難しい状況ではありますが、少しずつ稽古を再開していこうと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
久しぶりに見に来たら、更新を再開されており、たいへん嬉しいです。
楽しみにしております!
三線初心者さん、コメントありがとうございます!
この2年、公私ともに混乱を極めていたため、更新といいますか、三線に触れることもできずにおりました。
これからまたボチボチ勘を取り戻していきたいです。
引き続きよろしくお願いいたしますm(__)m
はじめまして。
貴ブログは度々拝見させていただいておりました。
特に三線の割れ埋めや漆塗りの記事はワクワクしながら読ませていただきました。
更新止まってるんだなぁ、ブログ主の方は今どうされているのか・・などと思いながらしばらく見ていませんでしたが、先ほどたまたまブックマークをクリックしたらなんと更新されているではありませんか!
な大変な思いをされていたんですね。2年間の兵役(?)大変お疲れ様でございました。
2年ぶりの三線ということですが、歌口もさることながら皮のほうは大丈夫だったのでしょうか?
歌口は私も以前自作したことがあります。購入した三線店の仕事が酷くて、歌口が異様に高く(歌口での弦高が2mm以上)、溝も細~い溝が3本「斜め」に切られていて修復が難しかったためでした。市販のカット済み牛骨を買ったら短くて使い物にならず、未カットのものを買いなおしたりと大変でしたが、自分で作業するとマイ三線への愛着もひとしおですね。
国吉源次先生の記事も拝見しました。大城美佐子さんに続いてまた一つの巨星が・・といった思いです。
私の八重山民謡の師匠、大工哲弘先生と同門(故・山里勇吉氏)の兄弟子だったとのこと、大工先生も自分の上の世代がみんな居なくなってしまったとブログで嘆いておられました。1974年の琉球フェスティバルのメンバーが知名定男と自分だけになってしまった、皆あの世で「琉球フェスティバルin後生」を開いているかもしれないと仰っていました。
ぽっさまさん、コメントくださりありがとうございます。
長らくのブログ放置、大変失礼いたしました。度々ご覧いただけていたとのこと、とても嬉しいです。
この2年間は、土日も気が休まらない会社に入ってしまったのと、母の介護があり、毎週札幌と東京の往復生活で、最後は4か月間ほど札幌に単身赴任をしていました。年末に母が他界し、仕事の方は益々酷い状況になり、最後の方は心身を病みそうな状況になったため、辞めて東京に戻ってきた次第です。この間、物理的にも気持ち的にもまったく三線を触れなくなりました。音楽を奏でるというのは、心でやるものなのだと改めて実感しました。
久しぶりに三線を手に取り、唄口の割れに気づいたのが5月4日。翌日、源次先生が4日に亡くなったことを知りました。何かの知らせだったのでしょうか、、この2年間三線に触れず、稽古にも伺えていなかったことが本当に悔やまれます。
大工先生のもとで八重山民謡を学ばれているとのこと。また、ご自身で三線のメンテもされていらっしゃるというお話を伺うと、嬉しくなってきます。今は何かと難しい世の中になっていますが、いつかご一緒できるような機会ができると嬉しいです。
三線生活様、拙コメントに返信いただきありがとうございます。
そうでしたか、公私ともに大変な日々を過ごされていたのですね。「兵役」などと軽々なコメント、何卒お許しください。
私も10年ほど前、介護していた祖母と母を相次いで亡くし、続いて父が入院、退院したと思ったら今度は自分が入院と、その間たった3年間の出来事でしたが、仕事も行き詰っていたこともあり、心身を病んでしまいました。
頭にいつも靄がかかったようになり、日々をやり過ごすことに精一杯で、当時趣味だった自転車に乗る気にもなれず只々悶々としておりました。
人は心身ともに余裕がある時でないと趣味(=自分自身に向き合う時間)なんてできません。趣味でストレス発散、なんて事はあくまでも平時の出来事ですから(笑)。三線に触れることすら出来なくなった三線生活様のお気持ちは大変よくわかります。
私の三線はまだまだ下手糞ですが、いずれご一緒できるような機会があればと思います。
大工先生の工工四楽集には、豊年ぬあやぐ、なりやまあやぐ、とーがにあやぐ、家庭和合、豆が花・・・等々数多くの宮古民謡が収録されていまして、ぼちぼち練習しているところです。琉球古典や本島民謡の華やかな感じも良いのですが、私には宮古、八重山など先島諸島の素朴な唄が合っているようです。
三線生活様のブログ、今後も楽しみに、気長に来させていただきます。
ぽっさまさん、ありがとうございます。ぽっさまさんも厳しい一時期を過ごされた経験をお持ちだったのすね。お互い今元気で生きていられて良かったです。
三線については、私も初心に戻って練習です。過去の稽古音源を聞き返して調整、その繰り返しをしていきます。
宮古民謡にも触れられているとのこと、いつの日かぜひお願いします!