三線で楽しむ沖縄の音楽~古典と民謡について

三線で楽しむ沖縄音楽

前回は「目的に適った教室を」と書きました。今日は三線で演奏する沖縄の音楽について整理・分類しておきたいと思います。

まず、三線で演奏する沖縄の音楽は「古典」と「民謡」に大別されます。
この他に、りんけんバンドや喜納昌吉、ネーネーズなど、1990年前後から注目され始め、古典にも民謡にも属さない「オキナワン・ポップス」等と呼ばれるものもあります。これらは琉球音階に代表される沖縄的要素を含んでいて、三線が演奏に用いられていることが多いですね。しかし領域がとても幅広く、ポップスだけでなくロックやラップ、果はハードコアにまで及んでいて、定義づけが困難です。
このため、ここでは古典と民謡について書いていきます。

古典

簡単にいうと、琉球王府の宮廷音楽から生まれたのが「古典」ということができると思います。
私は古典をちゃんと勉強した経験がなく、古典についてはかな~り浅い知識しかありませんので、Wikipediaから引用します。

琉球古典音楽(りゅうきゅうこてんおんがく)とは、沖縄音楽の一種で、琉球王朝時代に宮廷音楽として演奏されていた音楽の総称。琉楽(りゅうがく)とも呼ばれる。羽地朝秀の政策によって士族の作法や教養として広く奨励された。主に冊封使や薩摩藩、江戸幕府に対する接遇として披露されていたようである。その曲目は200曲余。複数曲を組み合わせ、琉球舞踊や組踊、沖縄芝居の楽曲としても用いられる。

琉球古典音楽の世界には人間国宝の方もいらっしゃいますし、沖縄では大学に専攻課程があったり(沖縄県立芸術大学 音楽学部 琉球芸能専攻)、国立劇場おきなわが人間国宝の指導の下で組踊伝承者養成研修事業を行っているようなすごい世界です。
民謡以上に「型」が重んじられると思われ、やはり然るべき先生の下で学ぶことが必要だと思います。

民謡

古典に対して、一般庶民の間で生まれ広まったのが「民謡」です。
民謡はさらに地域によって大きな分類があります。本島エリア(沖縄民謡)、宮古エリア(宮古民謡)、八重山エリア(八重山民謡)の3つです。
エリアによって文化や歴史背景が異なるので、生まれてくる民謡が違いますし、歌う言葉も違ってきます。

沖縄民謡

沖縄では本島エリアの民謡を「沖縄民謡」と呼ぶようです。
本土の人間からみると、沖縄県の民謡=沖縄民謡 と考えてしまいがちですが、沖縄県の中で「沖縄民謡」と言う時には、沖縄本島とその周辺の島々の民間に伝承された曲と歌い方を指します。
ちなみに八重山や宮古の方が沖縄本島に行く時は「沖縄に行く」と言う表現をしますから、そう考えると「沖縄民謡」という呼び方にも納得します。

沖縄民謡は、琉球王国の時代から一般庶民に伝えられていた唄が基盤になっています。明治以降は士族が野に下って古典の影響も入るようになりました。
沖縄民謡は多くが「琉歌」という定型詩をベースにしています。定型詩とは俳句でいう「5・7・5」のことで、琉歌では「サンパチロク(8・8・8・6)」が定型になります。
代表的な沖縄民謡を一つ挙げるとすると「ナークニー」でしょうか。もちろん他にも素晴らしい曲がたくさんありますが、沖縄民謡らしさが色濃く出ているのがナークニーではないかと感じます。
『島うた紀行<第一集>』には以下の行があります。

ナークニーが沖縄の抒情歌の王様たるゆえんは、歌の発生、歴史が古いこと。分布が広いこと。抒情歌として情感深いこと。即興の世界が生きていること。歌詞が多彩であること。歌の極意が秘められていることが挙げられよう。

「ナークニー」はかなり古い時代から沖縄本島全域に自然発生したと言われています。
各々の想いをサンパチロクの琉歌にのせて自由に唄うので、決まった歌詞はありません。想い人に向けて唄ってみたり、情景を唄ってみたり、、、そのむかし毛遊び(もーあしび)などで盛んに唄われていたといわれます。「本部ナークニー」や「今帰仁ナークニー」「富原ナークニー」など、土地や人の名前がついたものなど地域によってバリエーションもありますね。
沖縄で古くから地域の文化・風俗に根差し、最も愛された歌のひとつといえるでしょうね。

八重山や宮古の歌が沖縄本島に伝えられ、「沖縄民謡」として歌われている曲もあります。
八重山の「デンサー節」、宮古の「宮古のあやぐ」→「あやぐ」、「中立のミガママ」→「テンヨー節」などがそうですね。しかし、歌詞も曲も少しずつ違うものになっていますから要注意です。

源次先生は「宮古のあやぐ」のことを“出世曲”といいます。
宮古民謡としては無名だったのが、沖縄に渡り「あやぐ」になって有名になった(出世した)からなんですね。曲のアレンジも洗練されています。
三線サークルにいたときに「宮古のあやぐ」を演奏してみたことがあるんですが、「”あやぐ”はそんなんじゃねぇ」とある先輩からボロクソに言われたのを思い出しました(苦笑)

八重山民謡

石垣島を中心とした八重山諸島は、「唄の島」「芸能の島」と言われるように、島ごとに魅力ある民謡が残されています。人口5万人ほどの日本南端の小さな島々から全国的に有名な歌手も多く出ていますね。歌が日常に溶けこんでいて、唄者が育つ環境なのかもしれません。

八重山を代表する曲というと、「安里屋ユンタ」や「月ぬ美しゃ」、お祝いの席で演奏される「鷲ぬ鳥節」、叙情歌として知られる「とぅばらーま」、教訓歌の「デンサー節」などがありますね。「とぅばらーま」や「デンサー節」はBEGINの「島人ぬ宝」の歌詞にも出てきます。

一般的に「八重山民謡」と呼ばれている歌には、大きく分けて2つのジャンルがあるそうです。1つは、ユンタ、ジラバ、アヨウなどの労働歌。昔から田植えの作業中などに、手拍子をベースに歌われてきたものです。有名な「安里屋ゆんた」も労働歌。三線を使わず伴奏なしで歌われてきました。ちなみに、「さー君は野中の茨の花か」と共通語で歌われる「安里屋ユンタ」は、ヤマト向けに改作された「新・安里屋ユンタ」です。
もう1つは、節歌と呼ばれるもの。江戸時代に首里から赴任した役人などが三線の伴奏を付けて作ったものです。、八重山民謡として歌い継がれています。「目出度節」「赤馬節」などがそうですね。民謡とはいえ、支配層が作った歌だからでしょうか、労働歌から生まれた民謡とは趣が異なるように感じられます。

八重山民謡は八重山の言葉で歌われますから、本島で沖縄民謡をやっている方からしても言葉が難しいと言われます。島によって言葉も変わってきますので、きちんとやろうとするとなかなかハードルが高いですよね。

宮古民謡

沖縄民謡や八重山民謡などに比べると、「宮古民謡」はまだまだ沖縄県外に紹介されていないように感じます。「宮古民謡をやってます」と言った時の相手の反応を見ると、自分はマイノリティーなんだなぁと思わずにいられません(苦笑)

宮古を代表する曲というと、教訓歌の「なりやまあやぐ」、座開きやめでたい席での「トーガニあやぐ」などが挙げられます。神にささげる歌から、豊作・税金神納の願いや喜び(豊年の歌)、首里から派遣された役人を称えつつこっそりけなす歌(池間の主)、恋の歌(伊良部トーガニ、かぬしゃがまよ)など、庶民の日々の生活に根差したものが歌われています。
また、八重山もそうだと思いますが、明治36年まで課されていた「人頭税」という制度が背景にある中で歌い継がれてきた歌であることにも思いを巡らせる必要があるでしょう。
人頭税廃止のための請願に上京して戻ってきた人たちを迎えたときに歓喜に包まれながら歌われたのが「漲水のクイチャー」だといわれています。

宮古民謡はもともと伴奏のない素の歌がベースで、楽曲伴奏に三線が入ったのは昭和30年代になってからだといいますから、今の形になってきたのはここ50~60年くらいと浅いんですね。
沖縄や八重山の民謡に比べると、歌や三線がとてもシンプルで素朴に感じます。その分、メロディーの美しさが際立っている印象です。
私が宮古民謡に取り組みたいと思ったのも、このシンプルでありながら美しい旋律に心打たれたからです。

宮古民謡は沖縄の外に紹介されていないと書きましたが、沖縄本島でも八重山民謡に比べてマイナーな存在だと思います。宮古では歌が生活の一部になり過ぎていて、あえてそれを外に発信していこうとしないのでしょうか。普通すぎてあまりこだわりがないのかもしれないですね。
かつて宮古島のゴミ収集車から流れてくる曲が八重山民謡の安里屋ユンタだったそうです。小学校から八重山民謡を教える石垣市ではきっとありえないことでしょうね。

宮古民謡については、カテゴリーを設けてもっと深めて書いていきたいと思います。曲のことなど、少しずつアップしていきますね。

沖縄の民謡を地域別に大別してまとめてみましたが、細分化していくと、同じ宮古エリアでも島によって言葉や歌の印象は異なります。宮古島の中にあってすら集落によって言葉が違うそうですから大変です。
その歌が発祥した場所や成り立ちにまで深めていきつつ、歌を学んでいけたらいいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました!